北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その8
最終日の朝が来た。
桃岩。
トンネルを抜けて港に着いた。もう桃岩時間じゃなくて普通の時間。桃源郷から帰って来た。
これで礼文島ともお別れ。
フェリーに乗り込むと桃岩荘名物のお見送りがはじまる。
ヘルパーさんと他の宿泊客の皆さん。出航するまでずっと続く。
出航してもずっと。「行ってらっしゃい」「行ってきます」「また来いよ」「また来るよ」を見送る側と見送られる側でずっと交互に言い続ける。見えなくなっても声が届かなくなるまでそれが続く。
そういったやり取りが終わると、少しみんな気持ちが礼文島から離れる。明日からまた気持ちを切り替えて頑張ろうか、とかそんな声が船内からは聞こえてきた。
さて、そんなフェリーの中で最後にたまたま宿泊日が一緒で「愛とロマンの8時間コース」も一緒に歩いた大学生と話をしていた。桃岩荘では色んな独特なルールがあるけど、その中の一つに桃岩ネームというのがある。時と場合によってヘルパーさんがつけてくれたり、他の宿泊者の方がつけてくれたりするいわゆるコードネームみたいなやつだ。そういえばお互いその桃岩ネームというやつがないなという話になったので記念にお互いにつけてみた。
ISSA、またどこかで。万が一この記事見つけたら教えてね。
「愛とロマンの8時間コース」を歩いた日の夜、桃岩荘の売店で桃岩荘Tシャツを買ったのだけど、なかなか気に入ってる。押し入れに眠ってるけど、これを見るとこの時のことを少し思い出す。
おわり。
〜あとがき〜
震災での停電トラブルの他にもパニアバッグがいきなり壊れて補修が必要になったり、今振り返ると本当によく無事に予定通りに北海道をまわれたものだなと感慨深く思います。
こういったイレギュラーな判断や対応が必要な時、人によって対処の仕方は様々です。その場その場で何が適切か考えて行動することになりますが、色んな物の尺度があり、その中でどうバランスをどう取るかというのはとても難しいことだと思います。うまくいくこともあれば、とった行動をあとで後悔することもあるかと思いますが、大事なのはその時々でしっかり何が良いか考えて、その中で取れる最善の行動をすることなのだと感じます。
北海道を自転車で旅するのはこれが2回目で、予想外なものも含めて様々な体験ができたように思うのですが、1回目の時と比較して確信をもって感じたことがありました。それは純粋な感動というものに関しては1回目にはどうしても敵いそうにないということでした。
知らないことや経験したことのないことの多さだったり、新しく入ってくる情報、自分の生活圏とは違うところにいる人達との交流だったり。1回目の時はあまりにもそれらが多過ぎて、新鮮すぎて毎日毎日消化しきれないような感覚を覚えました。一つ一つの出来事が、一瞬一瞬がめちゃくちゃ面白かったんですね。2回目が劣るとかとは少し違うのですが。
なので、「新しいことをやってみる」ということはそういった点において「とても価値のあること」なのだなと思いました。普通に生きていると段々と新しいことは自然と減っていくことを考えると、より希少性は増して、時にとても重要なことになるのではという予感すらします。捉え方次第では同じことでも「新しいこと」にできますし、「新しいこと」に気づいたり触れたりしていける仕組みを作れると良いなと思います。言うほど簡単ではないけど、考えたりやったりしてみる価値はあるかもです。
とりあえず今回「ブログを書き切る」ということをやってみて、長らく気になっていた喉の小骨が取れたような気がしました。広大なWebの片隅に記録を残してみる試みはかろうじて成功です。
以上です。
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その7
今日はいよいよ愛とロマンの8時間コースにチャレンジ。桃岩荘のヘルパーさんが車でバス停まで送ってくれた。そこからバスでスタート地点のスコトン岬まで移動。風光明媚な礼文島の西側をひたすら南に歩いて桃岩荘まで自力で帰ることになる。なんと距離は30kmあるらしい。なかなかハードで歩き応えのありそうなコース。
スタート地点のスコトン岬。日本列島最北端といえば宗谷岬だけど、ここは「日本」最北端。
ここより北は北方領土の樺太。最近では漫画ゴールデンカムイの舞台になったりもしてる。日本に近くて遠い島。
スコトン岬の売店ではトド肉まんが売っている。こういう物珍しいのが売ってるとついつい買ってしまう。印象は普通の肉まんといった感じ。「これがトドの味かー!」みたいなのは特になかったけど美味しかった。
売店では少ないながらも他の観光客の方もいた。今日一緒に歩いてくれる大学生は沖縄っぽい顔立ちなんだけど、沖縄出身ですかとまじまじと聞かれていて笑ってしまった。どうやらよくあることらしい。
大学生と話をしながら礼文島の海岸線を歩いていく。自分は自転車だけど彼はバイクで旅をしている。共通の話題と言えば旅の話、これまでどんなところに行ったとか、どこが良かったかとか。そんな他愛のない話を歩いていく。
他にも部活のこととか卒論の話とか色々聞かせてもらった。今振り返えると彼が人当たりの良いタイプだったおかげで終始楽しく歩くことができたように思える。そのことについて今更ながら感謝している。
事前に桃岩荘のヘルパーさんから聞いていたので知ってはいたものの、途中の海岸では穴の開いた貝がたくさんあって面白かった。
なんで穴が空いているのかというと、ツメタガイという貝の仲間が貝を食べる為に溶かしてしまうからだそうだ。同じ貝なのにそんなことをするなんて。
ここは澄海岬というらしい。澄んだ海の岬なんてここにぴったりな名前だなと思った。この日は空も綺麗だったのもあって読みがSKYなのも何だか粋でいいなと感じた。
ひたすら歩く、礼文島の景色を満喫しながら歩く歩く歩く。そんな感じで歩き続けていると段々と空腹感が出てきた。そろそろ桃岩荘名物の弁当の出番。
そんな時にちょうど開けた場所に出たのでそこで休憩することに。弁当はこれでもかというくらいご飯がぎゅうぎゅうに詰められていてボリューム満点だった。弁当から「30km歩くにはこれくらい必要だろ?」という声が聞こえてきそうな感じだ。景色が良かったのも隠し味になってか弁当は美味しかった。
コースには海岸すれすれのところもあって何だかアドベンチャーな感じ。目の前に広がるのは自然が作り出したものだけ。
ようやく宇遠内(ウエンナイ)まで到着。ここの売店から電話で桃岩荘に一度連絡をすることになっている。コーラを飲みながら売店のおばちゃんと色々話をした。覚えているのはおばちゃんのおすすめの本がパール・S・バックの「大地」だったということ。いつか読んでみようと思って買ったんだけど今のところ本棚に眠っている。
ウエンナイを出発してしばらくすると段々と日が落ちてきた。遠くに見える利尻山が少し赤みを帯びてきている。
「愛とロマンの8時間コース」といっても実は実際のところ予定通りでも11時間近くかかる。ここまでそこそこ良いペースで歩いてきたつもりだったけど、桃岩荘まではやはり11時間くらい掛かりそうだった。思っていたよりもハード。少し甘く考えていたのかもしれないと思った。
礼文島には礼文島にしか咲かない花がある。それはレブンウスユキソウだ。シーズンが過ぎていたので諦めていたけど、群生地でまだ形を残しているレブンウスユキソウを見つけた。もう二度と見るチャンスはないかもしれないと思うと不思議と幸運に思えた。
果たして、再び「花の浮島」とも呼ばれるこの礼文島に来れることはあるのだろうか。
トンネルを抜け、桃岩荘の近くまで来た時にはあたりはもう暗くなってきていた。事前にヘルパーさんからこの辺りまで来たら連絡をするようにと指令が出ていたので電話をした。
桃岩荘まで歩いていくと大きな声で「おかえりなさ~い!」とヘルパーさん達が出迎えてくれた。姿が見えてから玄関前に到着するまで何度も何度もパワー全開で。「ただいま〜!」と返す。無事に帰れて良かった。
桃岩荘に着いてから大学生と玄関で記念写真を撮った。この写真は大切にしようと思う。全く知らない人といきなり11時間歩くって普通はなかなかないことのような気がする。これも何かの縁なんだろうなと思うし、見えない絆のようなものも得られた気がした。
風呂に入ってから桃岩荘の食堂で豚丼を食べた。30km歩いて疲れていたので、豚肉がバーナーで炙られているのを見ながらボーッとしていたような気がする。
新鮮という意味では今回の旅ははじまりから相当新鮮なものだったように思う。いきなり停電でのスタートだったからね。そこ新鮮さから最初はとまどい不安を覚えた訳だけど、いつのまにか楽しさに変わっていた。数日でこんなに変わるものなのかと不思議にすら感じる。先の見えない状況でも、歩みを止めなければどこかでパッと視界が開けるようなこともあるのかもしれない。
寝る前には、桃岩荘に来た日が一緒だった人が「これでお別れだから」と挨拶に来てくれた。知り合いに似ていたのでとても親近感が湧く人だった。1年半旅しているって言っていたけどそれが長いのかはたまた短いのか、もうよくわからない感じがした。桃岩荘というか礼文島そのものがある種の桃源郷のように思える。ここにはここだけの時間が流れている。でも確かなのは明日でそれも終わるということ。
その8へ
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その6
朝早くに起きて利尻島行きのフェリー乗り場に向かう。みどり湯からはそんなに離れてない。途中でコンビニによって朝食を食べたり補給食を買ったりした。
自転車に荷物券をつけてフェリーに乗る。
係の人にフェリーの1階の駐車場の脇に固定してもらう。前に北海道に来た時の同じような光景。前回は礼文島だけで利尻島には行かなかった。なので利尻島は今回がはじめて。
天気に恵まれて利尻山が良く見える。白い恋人のパッケージはここ利尻島で撮られたものらしい。あまり時間がなかったので寄らなかったけど写真が撮られたスポットがあって観光名所になっている。
少し休憩。近くに湧水が合ってボトルに水を補給できた。
らーめん味楽でランチ。どうやらこのラーメンを食べることを目的に利尻島まで来る方もいるらしい。ラーメンも食べたけど、近くのセイコマでカツ丼も食べた気がする。なんだかはまってしまった気がする。
セルフサービスっぽい感じだったので箱に代金を入れる。
ミルピスはカルピスを濃厚にしたような味で美味しかった。少しすると中からおばちゃんが出てきた。ミルピス以外にもギョウジャニンニクジュースとかもやっているとのことでサービスで飲ませてもらった。今まで飲んだことのないようなそちらも美味しかった。お話好きなおばちゃんだったので色々とお話させてもらう。するとフェリーの時間が結構迫ってきたので港に急ぐ。ミルピスの原液を一本買って送ってもらうことにした。
なんとかぎりぎりフェリーに間に合った。3時間半くらいで島を一周したことになるのかな。次は礼文島へ。
礼文島に到着。今回は利尻島からもそんなに距離がないので利尻山が良く見える。
港には今日泊まる予定の桃岩荘のお迎えが来るようになっているけど、少し時間があったのでホッケのちゃんちゃん焼きを頂く。礼文島の名物。
桃岩荘へはこのブルーサンダー号で移動。トンネルを抜けるとそこは桃岩時間といって現実世界と1時間ずれる。らしい。他の宿泊者の方にどのくらい旅をしてるんですかと聞けば1年半とか普通に返ってくる。最果ての島はそんなところ。
桃岩荘の外観。後ろには夕陽。中に入るとヘルパーの皆さんが正座でお出迎えをしてくれる。そして色々楽しい話も交えながら桃岩荘のことを説明してくれる。ヘルパーさんというのは宿の住み込みの従業員さんみたいな感じ。
もともと桃岩荘はニシン小屋だったらしい。壁には夜のミーティングで使う用の歌詞が所狭しと並ぶ。ここ桃岩荘はユースホテルなんだけど夜のミーティングというものがありそこで礼文島についての話をヘルパーさんにしてもらったり歌を歌ったりみんなで踊ったりする。結構クレイジーだ。中にはそんなことを知らずに宿泊する方もいるらしい。きっとびっくりする。一昔前は日本三大バカユースと呼ばれて他にもそういうことをやっていたユースホテルもあったみたいだけど今では桃岩荘だけになっているらしい。二階は宿泊者のベッドになっている。
桃岩荘の目の前は海岸が広がっていて夕陽が綺麗に見える。この辺りでは海岸でメノウが拾えたりもするらしい。奥に見えるのは猫岩。猫の形に見えるかな。
そんな夕陽をバックにみんなで歌を歌います。旅の恥はかき捨てともいうのでここは一生懸命歌います。ぎんぎんぎらぎら日が沈む。じっと夕陽が沈むのを見ることなんて普通に生活をしているとそんなにはない気がするんだけど今回は多い。
夕陽が沈むと再び中に入って桃岩荘名物のミーティング。もうみどり湯と一緒に文化遺産にしてほしいくらい独特な雰囲気だったけどとても面白かった。好みはわかれるかもしれないけど、桃岩荘が好きな人達とヘルパーさんの手によって代々受け継がれてきたもの。
宇宙生命体ギャラン。桃岩荘唯一のペットという位置づけらしい。
夜は遠くで光が見えた。話によるとイカ漁の漁火とのこと。はじめてみた。
ここ桃岩荘ではミーティングと同じく名物の愛とロマンの8時間コースというハイキングコースがある。宿泊者の中で希望した人がその時のメンバーで一緒に礼文島を歩く。これはぜひとも参加したいと思っていた。明日の参加者は少なくて自分の他に1名だけ。知らないもの同士で2人で長時間歩くことになる。ここまで来たら歩きたいよね。もちろん参加で。ヘルパーさんから写真でルートの説明をしてもらって明日に備える。
~その7につづく~
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その5
【5日目 歌登~浜頓別~猿払~稚内】
ホテルで朝食を食べて出発。前日までの疲れがどっと出て、この日は最初から満身創痍だったような気がします。このホテルの近くには記念撮影用の牧草ロールが置いてあるスペースがあったりして、なんだか北海道らしくて面白いアイディアだなと感じた。
セイコーマートはまだ震災の影響でほとんどものがなかったけど、店内で調理するものについてはこの日から提供できるようになったみたい。まだ店頭には並んでなかったけど店員さんが声を掛けてくれて出来上がったばかりのカツ丼を手渡してくれた。まだカツ丼しかなくてごめんねと言われたけど、むしろカツ丼さえあればいいと思った。それくらいこの時のカツ丼は美味しかったし、震災から徐々に復興していく様子がこんなところからも見て取れて少し明るい気分にもなった。
ここは猿払にあるエヌサカ線と呼ばれるところ。地平線まで一直線の道が続いてます。
牛がたくさん。
宗谷丘陵では風力発電の風車が立ち並ぶ。
人生で2度目の宗谷岬。
熊出没注意の看板も懐かしい。
前回も食べたホタテラーメン。今回は登ったところにあるもう一軒のラーメン屋にしようと思ってたけど、お休みだったのでこちらへ。でもそれで良かった。普通だったら残念なことでも残念じゃないことって結構あるもので、割と世の中よくできてると思う。ご主人とひさしぶりに対面した時に前回来た時のことをよく思い出して何だか嬉しくなった。来たのが2回目ということを話すと記念にとボールペンを頂いた。「次回はベンツでお嫁さんを乗せてきてね。いつまで続けていられるかわからないからできれば早めに。」と言われて、「それはいいですね。」と答えた。その後の「その気になれば何だってできるよ。」という言葉を聞いた時、本当にそうかもしれないと思えた。次に宗谷岬に来る時もここでホタテラーメンを食べれたらいいな。
再び宗谷丘陵。牛がたくさんいる。
最北の宿、みどり湯に到着。おばちゃんも懐かしい。前回来た時に食べに行った近くのジンギスカン屋さんが美味しかったので、今回も行きたかったんだけど残念ながらお休み。更には銭湯もお休み。どこか他に食べるところがないかおばちゃんに聞いたんだけど、何故かすき家推し。もうちょっと北海道感のあるところが良いなと思ったんだけど、後で学生ならリーズナブルなところがいいかと思ったとおばちゃんから言われて妙に納得。しかし学生より一回りくらい上だったり。他の宿泊者からも似たようなこと言われたから自転車乗る格好してると何歳かよくわからなくなるんだろうなと思った。
ジンギスカンを諦めてタコしゃぶに。近くに温浴施設もあったので良かった。
宿に戻るとやっぱりミラーボールが回り出して宿の皆さんと松山千春を大合唱。こういうのも、今はおばちゃんが続けてくれているから文化として残ってるけどこの先はどうなっていくのかなというのは少し考えてしまった。前回来た時に泊まった別のライダーハウスが営業をやめてしまっていたりと短い間でも変化は確実に起こっている。何でもそうなんだろうけど、全てのことは絶えず流れ続けているので、今普通に体験できていることももしかしたらかろうじて残っているものだったり、何かの拍子に大きく変化したりなくなってしまうことなのかもしれない。そこら辺をどう考えるのかっていうのは割と大切なことのような気もする。
次回に続く。
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その4
【4日目 佐呂間~紋別~興部~雄武~歌登】
今日は佐呂間から歌登までオホーツク海沿いに北西にひたすら走る。そんな1日。
ライダーハウスの朝食。目玉焼きが北海道なのと梅干のお皿が帆立型なのがポイント。出発する時には大きな旗を振ってお見送りして頂いた。少し恥ずかしいような気もするけど、ここまでして頂くとお別れするのが一層寂しくなる。色んな話を聞けたし、とても良い宿でした。こういうお見送りの仕方をしてもらったのは初めてだったけど、北海道のライダーハウスやユースホステルだと結構あるんじゃないかな。多分。まずは巨大なカニの爪と揚げたてのかまぼこを目当てに紋別を目指す。
サロマ湖の湖畔沿いを走っているとSLの宿というのを発見。配線になって使われなくなったSLをそのままライダーハウスとして利用しているらしい。シャワーもあるみたいだし格安で泊まれるみたいなのでこういうところに泊まるのも面白いのかもしれない。駅舎もそのまま残っててそこに泊まることも可能。そのまましばらく走っていると進行方向に超でっかいカニの爪が見えてきた。
紋別に到着。巨大なカニの爪はオホーツク流氷館の近くにそびえたっていた。思ってたのよりもずっと凄い。想像を上回る大きさに唖然。こんな巨大なカニが海から出てきたら人々は恐怖のどん底に突き落とされると思う。ただ、きっと早々にやっつけられて缶詰にでもされてしまうんだろうな。やっぱり観光名所になっているみたいで写真撮影している人が他にもいた。ここで突然、震災の関係で旭川から物資を運びに来ているという2人組に話し掛けられる。しばらく雑談をしていたら一緒に写真を撮ろうという話になってカニの爪の前でダブルピースして記念撮影。今見てみるとシュールな感じだけど、結果的にいい思い出になった気がする。元気にしてるかな。
氷を割って進むガリンコ号。今はガリンコ号Ⅱが現役みたいなのでこちらは初代のものだと思われる。スクリューで氷を砕くらしい。
ちょうど昼時なのでかまぼこの前に海鮮丼を食べることに。
テーブルで調理ができるようになっていた。ボタンエビも頼んだので自分で焼きますかと聞かれたけどそれだけ焼くのもなんだかあれだったので調理してもらった。
カニいくら丼とボタンエビとカニの味噌汁。一昨日のホテルの夕食バイキングにあったカニの味噌汁が異様にうまかったのでまた飲みたくなってしまった。海鮮丼はどこにいってもクオリティが高い。さて、お次は大本命のかまぼこ。
そんなに離れてなかったのですぐに到着。
カマボコは種類がたくさんあってケースから好きなものを自分で選べるようになっている。レジに持っていくとその場ですぐに揚げてくれ、2階の飲食スペースで食べれるようになっていた。カニマヨボール、チーズボール、タコボールの3つをチョイス。
よくある小さな個別包装の袋に入ってる醤油で食べるようになってるんだけど、醤油をとって席まで持ってくと、常連客っぽいおじいさんが全自動で有無を言わさず醤油の袋を針で刺してカマボコにかけてくれた。お心遣いはありがたかったけど空いた穴から醤油が縦横無尽に飛び散ってお盆の上が大惨事に。ちなみに写真は原状復帰した後のもの。肝心のカマボコはこれまで食べたカマボコの中で1番美味しかった。またもし紋別に来る機会があったらここのカマボコは必ず食べたい。腹ごしらえが済んだら次はデザートということで今度は興部(オコッペ)のアイスを目指して出発。オコッペとか雄武(オウム)とか北海道は面白い地名が多い。大抵はアイヌ語が基になっているらしいけど、この日に通った地名で風烈布(フウレップ)っていうのもあって何とも言えないかっこよさを感じた。「どこに住んでるの?」って聞かれたときに、「フウレップ」とか言ってみたい。
しばらく走ってオコッペアイスの店に着くと何と休みだった。これは諦るしかないかなと思ったけど、駄目元で近くに道の駅に寄ってみることにしたら売っていて良かった。これもカマボコに負けじと美味しかった。現地の方のおすすめ情報の精度は凄い。
続いては雄武の道の駅へ。元々寄る予定はなかったけど、大分疲れてきたし今日の目的地の歌登まではまだ多少距離があったので休憩することに。
雄武名物の蕎麦。時間も押してきているので名物が蕎麦だったのはとてもありがたかった。これで最後まで走り切れる。
時間が押してきているので長居はできないと思っていたけど、展望台があったのでエレベーターで昇ってみた。オホーツク海と雄武の町が良く見える。
歌登方面への分岐の手前にセイコマがあったので最後に飲み物を補給。震災食後なら欠品だったはずのヨーグルトが入荷されてきてた。分岐を曲がると山道にとなりしばらくヒルクライム。段々と日が沈んでいき、ホテルに着く頃にはもう真っ暗だった。
ホテルの夕食、今日は毛ガニ。やっぱり北海道を旅しているとカニの比率が高くなりがちだなと思った。北海道あるある。割とリーズナブルなのにどの料理もクオリティが高かったし、温泉も良くていいホテル。溜まってきている疲れを大分減らすことができたような気がする。インスタ映えしそうな巨大な牧草ロールの近くで写真を撮れる場所もあったりして中々工夫を凝らしていて面白いなと思った。事前に調べた限りだとオホーツク海沿いってあまり宿泊施設や観光名所がなさそうで、稚内まではひたすら走るだけになりそうだななんて思っていたけど全然そんなことなく、各町にはそれぞれ特色があって想像していたよりもずっと良かった。昨日、色々と教えて下さったライダーハウスの皆さんには本当に感謝しないと。なんだかこの日は食べ物の写真ばかりだ。
本日の走行距離:166km
~続く(おそらく)~
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その3
【3日目 知床~佐呂間】
朝起きてチェックアウトをする。外に出て自転車を置いてある場所に行き、出発の準備をする。外は小雨が降っていて少し肌寒い。天気予報を確認すると雨は早々に止みそうだった。その為、レインウェアは着込まずに5:30に出発。
少し走るとオシンコシンの滝に差し掛かる。オシンコシンの滝は海岸線のすぐ近くにある。それほど高さのないところから大量の水が落ちている。滝を眺めながら今日の予定をこなせるかどうか考えていた。昨日一昨日はそれほど疲れは感じを今日は強く感じているのにも関わらず、今日のルートは昨日一昨日よりもハードだった。今回の旅の中で1番と言っていいだろう。知床から斜里まで移動、そして川湯温泉を経由し、摩周湖、屈斜路湖、美幌峠を抜けて佐呂間まで行く。峠越えありの205km。なかなか厳しいけど無理ではない。予定通りに走ることに決めて再び走り出す。まずは、斜里にある天に続く道を目指す。天に続く道とはその名の通り、地平線の先まで道が続いているというまさしく北海道を象徴するような浪漫溢れる場所である。
次第に雨も止み、順調に進んでいく。途中で追い抜いて行った原付の旅人が落としていったと思われる寝袋の下に敷くマットを見つける。どうしたものかと思ったけど、持ち主が途中で気づいて折り返してくるかもしれないと思い拾い上げてしばらく走る。どうも引き返してくる気配がなさそうだったので、目立つ場所にマットは置いていくことにした。天に続く道も間近に迫ってくる頃、道路脇に目をやるとジャガイモの山があった。北海道と言えばジャガイモだけどここまで山のように積まれているのは初めて見た。
天に続く道に到着。始点からその道を望むと真っ直ぐに地平線の彼方まで伸びていて終わりが見えない。壮大な景色なのだが、問題はこの道をこれから走らなければならないということだ。バイクや車ならまだしも、自転車で走るとなると永遠とペダルを漕ぎ続けることになるのではないかとすら思えてきて笑えてくる。更に問題だったのは天に続く道の辺りには天に続く道以外にも天に続いてそうな道が縦横無尽に走っていたことだった。周りを見渡せば広大なジャガイモ畑、本当に進んでいるのかどうかすら怪しく感じた。
昨日一昨日の疲れもあって今日はペースが全く上がらない。朝食もしっかりとっていなかったので、そろそろセイコマを見つけて休憩したいところ。しかし、そんな中で盛大に道を間違える。また、やってしまった。以前にも同じようなルートミスをしたころがあったが、その時よりもましな距離なのは不幸中の幸いだ。ハンガーノックになりかけているのを感じながら、セイコマに向かうもいつまで経っても天に続いてそうな道がひたすら続くだけでセイコマになかなか辿り着かない。もう駄目かと思ったところでセイコマに駆け込むことができた。
震災の影響で停電からは復旧してきているものの、物流がまだ回復してなく弁当類は全くない。パンやブドウや白菜の漬け物等を買って補給する。おそらく自転車で走っていてコンビニでブドウや白菜の漬け物を買うことなんて今回限りだと思う。チーズ蒸しパンとかミルクコーヒーとか北海道っぽさを取り入れるというよくわからない試みを無意識の内にしていた。とにかくこれでまた走り出せる。ただ、道を間違えた関係でこのまま予定通り川湯温泉に向かうには少し時間が足りない。その為、川湯温泉は諦めてそのままサロマ湖方面へと移動することにした。
網走に入ってしばらくするとサロマ湖と美幌峠の分岐に差し掛かる。時間を確認してみると美幌峠を登って屈斜路湖を見て折り返すくらいの時間はありそうだった。少し迷ったが、どうせなら行ってみようという気持ちの方が強かったので思い切って美幌峠に向かうことにした。平坦な道を淡々と走って行くと途中で何かが落ちた音が。止まって確認してみるとパニアバッグを荷台に固定する部品が1つ壊れて落ちていた。何とか直せないものかと考えてみたが、すぐに無理だとわかって途方に暮れる。色々と試してみたところ、幸い走行には支障がなさそうだったのでそのまま走り出す。限界が差し迫ってくると不具合というものは一気に出るものだと感じる。そういった意味ではまだまだ油断はできない。もうこのパニアバッグは限界を迎えていると思うけど、倒れる一歩手前で踏ん張ってくれているようにも見えてありがたさを感じた。
再び走り出して少しすると、美幌峠の本格的な登りが始まった。疲れが溜まっているからか知床峠よりも手強く感じる。そういった疲れを上手くごまかしながら登っていく。長い距離をいかに故障せずに楽に走るかという点でいうのであれば、ペダリングをどうするかというのが1つの極意なんじゃないかと思う。疲れてくると身体の軸がぶれてペダリングも乱れてくるけど、そういう時こそより一層ペダリングに意識を向ける。そもそも必要以上に疲れないようにケイデンスは高く維持するし、踏み込む脚の力の入れどころや反対の脚の力の抜きどころを意識する。身体の重さと重力を上手く使えるように心掛ける。
そんな感じで美幌峠を登っていったら、頂上付近で下って来たライダーから「頑張れー!」と大きな声援をもらった。不思議と力が湧いてきてペースも上がり、何とか美幌峠を登り切れた。普通、峠を登っていてライダーからこんな声掛けをしてもらえることってない。旅人同士の距離がこんなにも近いのは北海道ならではだと思う。一昔前なんかは旅人の数も多くてハンドサインをするだけでも腕が疲れてしまっていたらしいが、今ではもうその数も減ってしまっていてそんなこともなくなってきている。流行り廃りというものがあるので仕方がないことだけど少しだけ寂しさのようなものも感じる。まだ北海道には過去に根付いた風土や文化が残っているけどいつまでもそのままの形で残っているとも限らない。だからこそ、そういったものに触れることができる瞬間は精一杯楽しむつもりで進んでいこうと思った。
美幌峠の展望台からは屈斜路湖が綺麗に見えた。朝は小雨模様だったが、今は方角によっては晴れ間がのぞいている。写真を撮っているとバスツアーの団体が来て少し賑やかになった。ガイドさん達としばらく会話を楽しむ。
ガイドさん達の情報によると売店のあげいもと三角パックの牛乳が美味しいとのことだったので買ってみることにした。牛乳は最後の1パックを自分の為に残しておいてくれていてありがたいやら申し訳ないやら。停電の影響で飲めていなかったこともあって牛乳はとても美味しかった。色々と話をしていると皆口を揃えてサロマ湖の夕日が綺麗と言っていたので見てみたくなった。時間を確認すると頑張れば何とか間に合いそうだったので急いで下ることに。
途中でローソンに寄ると依然として弁当類が全くない状態だった。やはり物流がまだ復旧していないが、きっともうすぐのはずだ。震災の当日から北海道に来ていることもあって復旧の様子がよく見て取れる。なんだかんだで猛スピードで復旧が進んでいるところをみると人の力って本当に凄いと思える。
外に出てサロマ湖に向かって走っていくと段々と空が赤く染まっていく。サロマ湖に着く頃には丁度夕日が沈む時間だ。地図で調べるとキムアネップ岬という場所が良さそうだったのでそこで見ることにした。
夕日が沈んでいく、沈み切る直前には太陽がより大きく見えた。観光名所はたくさんあるし、目的地としてそこを設定することは多くあるけど、そういったものはきっかけに過ぎないのかもしれないなと思う。例えば最北端の宗谷岬を目的地にして旅をしていた場合、
どこでもドアで一瞬で宗谷岬まで行ってしまったら「ふーん」で終わってしまうかもしれない。結局のところ、そこにたどり着くまでにどんなことがあってどんなことを考えたか、どんな人に会ってどんな話をしたか等に色付けされて目的地としての意味を持つようになるのだと思う。今日の宿はライダーハウス、18:15に到着。震災の影響か時期的なものか、宿泊者は少なく、自分の他には1人だけだった。荷物をベッドに置いて風呂に入ってから共有スペースでくつろぐ。
夕食の主菜はカボチャのコロッケ、美味しかった。ビールを他の宿泊者の方から頂いた。夕食からその後のお茶会という名の飲み会まで、宿のご主人と奥さん、お手伝いさんも含めてみんなで談笑。震災のあった日はこちらの宿も営業はしていたとのこと。電気が通っていなくてもガスと水道に影響が無ければ何とかなるようだった。こういった時に旅人さんは自分でライト等の緊急時に役立つ装備を持っていることが多く、案外心配がいらなくて頼もしく思えたと奥さんが言っていた。電話回線もアナログだった為、使えていたらしい。こういった災害時にはアナログなものほど強いものなのかもしれない。
停電については原子力発電所が停止しているのもあり、1つの大きな発電所が稼働率を高めて対応していたこともここまで停電が長引いた原因なのではないかと言っていた。新たに発電所を建設している最中の今回の震災だったとのことで、タイミング的にも悪かったと言えるのかもしれない。100%の力で日々を回しているといざという時にどうにもならなくなってしまう。世の中の色んな物事に余裕が無くなってきていると感じるけど、負担を1箇所に集中させずにある程度余裕を持たせておくことができないと、目の前のことだけに囚われてしまい、先を見越した行動も取り辛くなっていく。他の宿泊者の方は自分よりもいくらか年配の方だったが、近年旅人が減ってきているのも昔ほど世の中に余裕が無くなってきたことも原因の1つにあるんじゃないかと言っていた。色んな要因があると思うけど確かにそうなのかもしれない。
明日以降のルートについて、情報が不足していたので色々聞いてみると親切に教えてくれた。紋別のカマボコやオコッペのアイスが美味しいこと、カニの爪のモニュメントのこと、利尻島のラーメンやミルピスの話、礼文島の美味しいホッケ屋の話、そして桃岩荘の話。直接現地の方や旅をしている方に話を聞きながら予定を決めていけるようになると旅が軌道に乗って来たと感じる。ガイドブック等を見て行き先を決めていくのとは違って、
今しているこの旅だからこその要素が詰め込まれていくような感覚で面白い。ある種の不確定要素みたいなもので、必ずしも予定通りにいかない方が内容が充実することもあるということを暗に示しているような気がする。
走行距離:218km
~続く(多分)~
北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その2
【2日目 根室~知床】
夜、余震で少なくとも1回は起きた。引き続き不安な状況の続く2日目の主な予定は知床岬クルーズ。根室から海岸線沿いに移動して知床峠を越えてウトロまで移動する。根室からウトロまでは170km程。知床岬クルーズの出発時刻である14:00に間に合わせる為に3:00に出発する予定だったが、こういう時だから日が出るまではゆっくりしていった方がいいと宿のご主人からご意見を頂いたのでその通りにした。停電が続いている以上、暗い内に出発するのは普段以上に危ない。そもそも震災の影響で知床岬クルーズが予定通り運航される保証もない。運航に関する情報はお昼頃までにはWebサイト上に掲載されるとのこと。
ご主人と女将さんに見送って頂いて5:30に出発。相変わらず停電は続いていて信号機は機能していない。全くテレビも見れていない為、災害の全容が未だにつかみ切れていなかった。宿のご主人曰く、こんなに長く停電が続くことは初めてとのこと。
橋から辺りを見渡すと湿原が広がっている。どうやらここはヤウシュベツ川湿原というらしい。観光地化が進んでなく、車だったらそのまま素通りしてしまいそう。ここで昨日もらったおにぎりを朝食として食べることにした。
昨日の釧路湿原のような広大さはないものの、静かで景色も良くてとてもいい場所だった。北海道に来てから1番ゆったりとした時間が流れる。いっそこのまま1日中ここに居たい。しかし、ずっとここに留まる訳にもいかない。出発時間は遅れたものの、知床岬クルーズの時間にはまだ何とか間に合いそうだった為、休憩も程々に先を急ぐことにした。
段々と羅臼に近づいてくると今回の旅で初めて自分以外のチャリダーを見つけた。停まっていたので話し掛けてみると、この後、知床峠も登るとのことだったので宿で頂いた食料をいくらか分けることにした。昨日は辛うじて営業していたセイコマも今日は閉まっている店舗ばかりで、食料の調達が少し難しい。道の駅もまだ営業を再開していないところが多いようだ。車も営業しているガソリンスタンドが少なくてガス欠が心配な状況だが、自転車も食べないと漕ぎ続けることはできないのでこのような状況では同様にガス欠の不安がある。普段、コンビニや道の駅等が身近にあるから安心して長い距離も走れるけど、それが無いと事態はガラッと変わってしまう。
知床峠クルーズの出航場所はウトロだが、羅臼に着いた時点で間に合うかどうかが微妙な時間だった。開催するかどうかは運営会社のWebサイトを参照する必要があったが、携帯電話はずっと圏外のままで使うことができない。幸い羅臼の道の駅は営業を再開していたので公衆電話を使って確認しようと試みるが、公衆電話はまだ使えない状態で、道の駅の固定電話も同様だった。ウトロに行くには知床峠を越える必要があるのだが、今の時間では全力で走らない限り間に合わない。間に合ったとしても中止になっていたら目も当てられないということで心底困ってしまった。仕方なく、開催の可能性を信じて知床峠を登り始める。
熊の湯を出て再び知床峠を登り始めたものの、荷物を積んだ自転車ではこれが結構きつい。ここ最近、自転車にそれほど乗っていなかったこともあって余計にそう感じた。騙し騙し登っていくと、標高が段々と上がっていき、羅臼岳が眼前に迫って来る。
知床峠のピークに到着。なかなか登り応えのある峠だった。ここを越えると後はウトロまで下るだけ。これで今回の旅の最大の難所を越えたことになる。宿には16:00と余裕のある時間に到着することができた。特に夕食のバイキングは料理の数も多く、その一つ一つがどれも物凄く美味しくて驚いた。停電がまさかこういった形でいい方向に転ぶとは思いもしなかった。一見悪く思えるような事柄や状況だって反転することがあるし、いざとなったら考え方一つでひっくり返すこともできる。ちょっとしたことや予期せぬことを楽しむのがこういった旅の醍醐味なのかもしれない。
走行距離:173km
~続く~