乗鞍ヒルクライムへの道(仮)

Rule#32:Enjoy the Little Things.

北海道縦断5日目(2)

北海道縦断5日目(1) - 乗鞍ヒルクライムへの道(仮)

〜花の礼文島

下山していると、礼文岳の中腹辺りで先に下り始めていたWさんと合流した。そのまま話しながら、一緒に下ることにした。今日の宿泊先を稚内ライダーハウスみどり湯にしようと思っている旨を話すと、みどり湯のお湯はめちゃくちゃ熱いから気をつけるようにとのことだった。どうやらみどり湯によく行くことがあるらしく、みどり湯別館のWと言えば、みどり湯のおばちゃんもわかると思うと教えてくれた。緑色のシャツを着ているのもみどり湯をリスペクトしているからとのことだった。他にも、礼文島の観光としてはどこがいいかを聞くとウニ剥き体験所なんかがいいのではと言っていたので、後で時間があったら寄ってみることにした。

そして、小樽で食べ損ねていたジンギスカンの美味しい店を聞いてみると、みどり湯の近くに「やまげら」という美味しいジンギスカン屋さんがあると教えてくれた。ジンギスカンというと羊肉だという印象が強いけど、鹿肉のジンギスカンもあるとのことで、それもかなりいけるらしい。

登山口に着くまでの間、旅の話をずっとしていた。バイクで日本一周や北米大陸横断をしていたことや、冬の宗谷岬から徒歩で鹿児島まで3ヶ月かけて歩いた人のこと、百名山一筆書きの話、登山口に戻るまで色々と面白い話を聞かせてもらうことができた。

Wさんの乗っていたレンタルバイクのナンバーは礼文島のものだった。花の礼文島と書いてあり、レブンアツモリソウの絵が描かれている。礼文島マスコットキャラクターは、このレブンアツモリソウをモチーフにしたあつもんというキャラクターだったりもする。

Wさんと別れて、スコトン岬まで向かう途中の道路脇にある交通安全の旗にはあつもんのイラストが書かれていたりもした。礼文島はほとんど平坦な道となっていて、2カ所だけ短い登りがあるだけで走りやすい。

〜走れコータロー〜

そして、礼文島の最北端であるスコトン岬に到着した。今回の旅で岬を訪れるのはこれが初めてとなるが、スコトン岬と明日行くゴールの宗谷岬と2日連続で岬をめぐることになる。こういったロケーションだからか、スコトン岬からの景色は素晴らしかったのに妙に寂しさのようなものを感じる。もしかしたら、岬という場所にはそういう気持ちにさせる何かがあるのかもしれないと思った。

人はまばらであって閑散としていたが、ここでオペラ(多分)を歌っている人もいた。確かにここで大声で歌ったら気持ちいいかもしれない。旅の目的は人それぞれ。

近くにある売店で、ホッケバー等の軽食を食べて休憩していった。昆布ソフトというご当地ソフトがあったので、試しに食べてみたが結構美味しかった。昆布の味はあまり感じなかったが、食感に特徴があって面白い。ここで、みどり湯に宿泊できるかどうか確認の連絡を入れてみる。大丈夫とのことだったが最終のフェリーで向かう旨を伝えると、天気が崩れそうだし遅くなってしまうと思うから1つ前の方がいいと思うよと言われた。時間を確認してみると、まだ1つ前の16:05のフェリーの時間に十分間に合いそうだった。少し早めに戻った方がよさそうだと思ったので、休憩を切り上げて香深港に向かって走り出す。

〜ウニ剥き体験〜

途中、礼文島の観光名所、ウニ剥き体験センターにも寄ってみた。たった1000円で体験することができ、そのままウニを食べることができる魅惑のスポットだ。

中に入ると、大量の大漁旗がセンター内を席巻していた。係の人にウニ剥き体験をしたい旨を伝えると、すぐに開始してもらえることになった。

ウニ剥きには専用の器具があり、ガシッとウニに器具の先端を差してカパってやるとウニが割れる。そして、スプーンで食べれる部位のみを選り分けていく。一緒に係の人も実演してくれるのだが、体験が終わるとそのウニもくれたので2つになった。旬を過ぎているのであまり美味しくないかもしれないとのことだったが、十分美味しかったので満足。ウニ剥きも体験できて良かった。

ウニ剥き体験でやや時間が押してしまったものの、乗船予定の便に間に合う時間にフェリー乗り場に到着。フェリーの発券所にあるロッカー横には礼文島マスコットキャラクターあつもんの姿があった。

〜遠い世界に〜

フェリーでみどり湯別館のWさんと再会。「桃岩荘名物のお見送りがこれからはじまりますよ」とのことだったので、一緒に甲板に出て、その様子に立ち会わせてもらった。フェリーが出向するまで、桃岩荘のヘルパーの人が数人、発着所に立ち、出発する人達にギターを奏でながら大声でフォークソングを歌う。出発する側もそれに応えて一緒に歌う。そして、見送る側が見送られる側にメッセージを送る。1人1人に対してそれぞれ違う言葉をかける。

桃岩荘は大雨による災害により、近くの沢が崩れ、陸の孤島状態となり、営業が再開できない状態が続いていた。それが昨日、ようやく営業再開に漕ぎ着けたとのことだった。苦難を乗り越えて再開しただけあって、色々、思いのつのる部分があったようだ。エールの送り方、強いて言うなら応援団のよう。歌に合わせて振り付けもあるが、それは宿泊した夜のミーティングと呼ばれる時間の中で覚えるものらしい。その光景には圧倒された。一体これはなんなんだとカルチャーショックのような感覚すら覚えた。旅とはどんなものなのか、なんとなくわかったような気になっていたのだが、この光景を見て一気にわからなくなった。

フェリーが出発してからも、交互に「行ってらっしゃい」、「行ってきます」の掛け合いがお互いの姿が見えなくなるまで続いていく。陽が沈みかけた時に見えるセピア色の景色が旅情を誘っている。礼文島の別れは、「さようなら」、「気をつけて帰ってね」、「また来てね」、「また来ます」、「ありがとうございました」といったものではなく、この「行ってらっしゃい」と「行ってきます」だったのは、何か意味があるように感じられた。

桃岩荘の営業は、6〜10月の4ヶ月間のみ、それは1年の4分の1。住み込みで働いて桃岩荘を支えているヘルパーの人は男女合わせて10人程いるらしい。一体どういった経緯で、この礼文島でヘルパーをすることになったのだろう。それだけ、礼文島には人を惹きつける何かがあるということなのだろうか。離島には、どこか非日常的な趣がある。だからこそ、人はいつもより開放的な気持ちにだってなれるのかもしれない。島ならではの景色・時間がそれを強く助長している。それが、桃岩荘ユースホテルという礼文島独自の文化を生んだのではないだろうか。かつて、このようなユースホテルはいくつか存在し、礼文島の桃岩荘をはじめとして、襟裳岬・知床にあったユースホテルは、日本三大バカユースと呼ばれていたそうだが、現在この文化を残しているのはこの桃岩荘のみとなってしまった。

〜旅人の行方〜

Wさんは、旅人の数がどんどん減ってきていると言っていた。フォークソングが流行した時代、北海道は旅人であふれ返り、カニ族と呼ばれる駅に宿泊をしている人々がいた。そういった人達の受け口としての宿泊施設がライダーハウスの始まりであり、そのような流れで独特の文化が根付いていった。しかし、旅人の数が減ると同時に、そういった文化も廃れる傾向にどうもあるようだ。閉鎖するライダーハウスも少なくはないらしい。Wさんによると、旅人が減っている原因は若者の数が減ってきていることだけではなく、つらくてきついものが若者に敬遠されるようになってきているのもあるのではないかということだった。旅は必ずしも楽なことばかりではなく、場合によっては大変な苦労を伴う。もしかしたら、そういった状況もあって、旅をする若者が減ってきているのかもしれない。そんな話を聞きながら、今は昔と比べて娯楽の数が増えた為、その中から旅を選ぶ人が単純に減ったのではないかなとも思った。選択肢が増えている以上、自然なことなのかもしれない。そういった衰勢があるからこそ、桃岩荘のような存在は強調され、輝きを見せるのかもしれないと思った。

帰りのフェリーは利尻島を経由して稚内に戻る。甲板から利尻島の様子を見ることもできた。もともと、最終のフェリーで戻る予定で、みどり湯のおばちゃんから1つ前の方がいいよと言われて変更した訳だが、そうでなければ航路の関係で利尻島を経由することはなかった。桃岩荘のお見送りも最終の便でなければ見ることができなかったし、Wさんとの再開もなかっただろうと思うと、たった1つの選択肢でも状況は大きく変わるものだと感じた。

稚内に着いてからは、そのまま今日泊まるみどり湯へと向かった。

北海道縦断5日目(3) - 乗鞍ヒルクライムへの道(仮)

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