北海道自転車旅(道東・桃岩荘編)その1
~前書き~
2018年9月に再び北海道に自転車旅に行ってきました。前回は函館から稚内まで縦断して礼文島まで。今回は道東を海沿いに反時計回りに周って稚内まで行き、利尻島を一周してから礼文島へ。そして桃岩荘に泊まって愛とロマンの8時間コース(礼文島のトレッキングコース)を歩く計画です。大分時間が経ってしまいましたが、当時を思い出して書きます。
内容が濃ければ濃いほど文章にするには時間が掛かります。そんなこともあって億劫に思う部分があり、そもそも書く必要もないのではないかと考えていましたが、何か心に引っかかる部分もあり、どんな内容であっても書き切ってみるのが良いのではないかと思いました。
人の記憶というのは時間が経つと段々と薄れていってしまうものですが、手掛かりになるものがあれば呼び起せたりするものです。そういった手掛かりを残しておくということは時間が経てば経つ程、財産のようなものに変わっていくこともあるように感じます。既に2年以上経過しているのでどこまで思い出せるかわかりませんが、なるべく多くのことを書き残せたらと思います。
※補足となりますが、2018年12月に一度途中まで書いて中断しているので今回は再チャレンジとなります。
【0日目 羽田空港国際ターミナル】
事前に準備として自転車を釧路空港近くのヤマト運輸まで送り、飛行機に乗る前日に空身でバスと電車を乗り継いで羽田空港まで。国内線ターミナルは夜間開いていなく、国際線ターミナルまで移動して仮眠を取ることに。照明と人の往来する音、そして寒さであまり眠ることができない。寝袋を輪行バッグに詰めて先に釧路に送ってしまったことを少し後悔。この時は明日起こることなんて夢にも思ってなかった。
【1日目 釧路~根室】
早朝、始発のシャトルバスで国内線ターミナルまで移動。7:45発の釧路空港行きの飛行機に搭乗するまでの時間、朝食をとったりしながら過ごす。しかし、何だか辺りの様子がおかしい。どうやら北海道では今朝震度7の地震が発生し、全域で停電が発生しているとのことだった
運航状況を確認してみると新千歳行きの便は欠航、今日搭乗予定の釧路行きの便も搭乗を見合わせている状況だった。このまま欠航になるのではと不安に感じながらしばらく待つと、釧路行きの便は運航できることになった。被害の全容が見えていない中、このまま北海道に行っていいものなのだろうかと悩んだが、釧路は震源地から離れていたし、停電もそう長引くは続かないだろうと判断してそのまま釧路に行くことに決めた。
飛行機は40分遅れで釧路空港に到着。停電からはまだ復旧していなかったが、まずはヤマト運輸の営業所で自転車を受け取ることにした。タクシーに乗って移動し始めると目に映ったのは消えたままの信号機やコンビニに殺到する人たちの姿。タクシーの運転手さんに話を聞くと、まだ停電は復旧の目途がたっていないとのこと。
当たり前のことだが、ヤマト運輸の営業所も停電していた。もちろん荷物の受付を中止。受付の人と話をすると、幸い自転車の受け取りは可能で輪行バッグも帰りに利用する稚内空港近くの営業所まで着払いなら発送可能とのことだった。
自転車の組み立てには思ったよりも準備に時間が掛かった。飛行機の遅れと自転車の組み立てに手間取って時間が押してしまっていることに加えて、停電の影響でその日の予定を見直す必要があった。海鮮丼を自分でカスタマイズして食べることができる和商市場は営業していない可能性が高いため断念。停電でも観光らしいことができそうな釧路市湿原展望台を目指すことに。
ひとまず出発したものの、依然として停電の影響で信号機が機能していない為、普段以上に慎重に進む。しばらく走っていると何故かパニアバッグの中身が転落した。どうやら生地の接着部分が弱くなっていて裂けて穴が開いてしまっているようだった。ビニールテープで補強するも粘着力が弱くてあまり効果がない。仕方なく大きめの袋の中に物を詰め込んでバッグに入れ、外側から紐で締め付けて固定した。スタート早々、重めのトラブルが続いて泣きそうになる。
釧路湿原展望台に着くと更に悪いことに停電の影響で閉鎖していた。ここなら大丈夫だろうと思っていたのに。事態の深刻さが段々と浮き彫りになっていくにつれて現実を叩きつけられる。まさかここまでとは。本格的に心が折れそうになってきた。
とは言えせっかく来たので、釧路湿原が見えるサテライト展望台まで歩いて行ったものの、景色にはあまり感動を覚えなかった。その理由は景色云々ではなくて今の状況への不安が原因だったと思う。時間がどんどん押していくと、それに伴って心の余裕もなくなっていく。今回の旅は事前に全ての宿を予約していたが、今日泊まる宿に連絡を取ろうにも固定電話が停電で使えなくて連絡ができない。果たしてこの状況で営業しているのだろうか。とにかく向かうしかないが、宿が営業してなくて野宿になる可能性も十分ある。そんな状況なのでまずは飲食物を確保しなければと思った。
セイコマと薬局がやっていたが、弁当やパンは全て欠品、冷やさないと品質が保てない食品は販売停止となっていた。ただ状況からすると営業してくれているだけでもありがたい。カロリーメイトやペットボトルの飲み物、そしてバッグを補修する為のテーピングテープ等を購入。バッグをテーピングで補修すると何とか危なげなく走行可能な状態にすることができた。ここからは釧路から根室までひたすら走ることになるが、距離は140km近くある。
甘栗剥いちゃいましたのバリエーションパッケージ、「旅にでちゃいました」を眺めながら本当にこのタイミングで北海道に来てしまって良かったのかを何度も自問自答した。しかしもう何もかもが仕方ないのでとにかく走る。走る。走る。何もかもが仕方ない状況になるとただ目の前のことを淡々とこなしていく他ない。
ほとんどノンストップで走り続けて何とか根室に入った。しかし根室に入っても宿まではまだ距離がある。明るかった周りの景色は次第に暗くなっていき、辺りは本当の闇に包まれる。道路脇の街灯、民家の灯かり、その全てがない本当の闇。そしてそれは依然として停電が続いていることを物語っている。ふと空を見上げると人工的な光に取って代わるように星が燦々と輝いている。本来であれば思わず見入ってしまうような空だったが、この時はそんな時間も余裕も見当たらなかった。とにかく走り倒して何とか宿にたどり着くと予想通り真っ暗だった。
玄関のドアは開いていた為、中に入って声を掛けてみるが返答はない。受付の辺りに人の気配は全く感じられなかった。チェックインの予定時刻は1時間以上過ぎてしまっている。携帯電話は一部の都市を除いて基地局がやられてしまっているらしく釧路を出てからずっと圏外だったが、確認すると何とか繋がるようになっていた。着信履歴を見ると宿からと思われる携帯からの不在着信があった。お互いに連絡を取ろうとしていたもののタイミングが合わず上手くいかず終い。泊まることはもう諦めた方が良さそうに思った。どこで野宿するか、明日以降の予定をどうするかをそのまま玄関で考えて途方に暮れる。
そんな中、2~30分程経った頃だろうか、宿のご主人が戻ってきた。よっぽど困った顔をしていたからかもしれないが、最初に「ここまで不安だったでしょう。何とかするから大丈夫だよ。」と声を掛けて下さった。そして何とか泊めてもらえることに。女将さんもその後戻ってきてくれて一度片付けた食事も再度用意してくれた。向こうも大変な時なのにこれ以上ないくらい親切にして頂いた。特に夕食は完全に諦めていたのにも関わらず通常と変わらない料理を提供してもらえたことにただただ感謝。